1985年8月12日。単独機としては世界史上最悪の520名の死者数を出す航空事故となった墜落事故「日本航空123便墜落事故」が上野村で起きました。
僕は生まれてはいたものの、その日のとことは覚えていません。
でも、報道や本やいろいろなところで目にするたび、一度は行ってみようとずっと思っていました「御巣鷹の尾根」
僕みたいなものが行っていい場所なのか…そんな思いもありながら上野村を目指しました。
上野村
上野村は、群馬県の最南端に位置し、鶴舞う形で言うところの右ウイングの先っぽ。
群馬県で最も人口の少ない自治体です。南側で長野県にも埼玉県にも接しています。
上野村はイノブタや十石みそ、プラムなのどの特産品や、関東最大級の鍾乳洞不二洞や上野スカイブリッジ、キャンプ施設まほーばの森などなど観光施設もあります。
慰霊の園
まずは追悼施設「慰霊の園」へ。
ここは上野村のメイン道路国道299号から少し入ったところなので行きやすいです。
こちらは事故の犠牲者を追悼する墓所で、身元不明の遺骨を埋葬してあるとのことです。
隣にある展示棟には事故や救助活動の内容が記されていました。当時の消防団の方のインタビューの動画や、焦げたぬいぐるみ、ひしゃげたメガネ、壊れた電卓など展示された遺品は事故の大きさを物語っていました。
撮影禁止のため内部の写真はありません。
ここの広場では式典などが行われます。
御巣鷹の尾根
では続いて現場となった御巣鷹の尾根へ。(※当時の報道で「御巣鷹山」としておなじみですが、正確には「御巣鷹山」ではないことが分かったので通称「御巣鷹の尾根」と呼ばれることになったそうです。そのため、「御巣鷹の尾根」は”御巣鷹山の尾根”ではありません。)
先ほどの上野村のメイン道路299から山に入ること車で40分。埼玉と長野の県境近くまで山を登っていきます。
当時は道もなく、地元の人でも行くことのない深い山の中。救助が難航したのも納得です。
登山口は以前は御巣鷹の尾根まで1時間くらいかかるところだったらしいのですが、遺族の高齢化なども考え道路が整備され30分くらいのところまで行けるようになりました。
とはいえ狭い山道なので、すれ違いには十分注意して譲り合いが必要です。こちらの駐車場に5,6台は駐車スペースがありました。
入口に看板がありました。駐車場から”昇魂の碑”までは800m。高低差180m。
800mなんてすぐと侮るとなかなか大変な目に合いますよ。
夜になったら何も見えないでしょうね。もちろん携帯も通じません。
入山した人のカウンターもありました。ポチ。
杖もお借りします。
しっかりと整備されていますが慣れない自分にはなかなかの急こう配。
沢に沿って登っていくので真夏でもかなり涼しいです。冬季は閉鎖されて気温はマイナス20度にもなるとか。
途中途中に熊よけの鐘が。
厳しくも美しい山でもありますね。
途中トイレも貸してくれそうです。水は貴重ですね。
なんやかんやで1時間弱かけて到着。
現場となった場所に建てられた昇魂之碑。安全祈願の鐘もあります。
この階段も管理人さんが今年作り直したって何かの記事でみました。
ここの前の広場は救助に当たり、切り開いてヘリコプターでの上げ下げに使われた場所とのことです。
南側(?)に見えた景色がこちら。飛行機が墜落前にえぐったと言われている場所だろう。
あそこを通って今僕が立っている場所に突っ込んできたんだな。言葉になりません。
急斜面のわずかな場所にたくさんの慰霊碑や墓標など事故と救助の痕跡が。改めてここで500名以上がなくなったことを実感します。
現場検証で距離や方角を測るための起点とした通称「×(ばつ)岩」
一番上には高濱機長をはじめとする乗務員の墓標が。ドキュメンタリーで見たボイスレコーダーの高濱機長の声が言葉が頭をよぎります。
暑い日でしたが、沢の水は冷たくて風はさわやかでした。